登入仕事のことは自業自得だった。 それでなくてもゼロからのスタートで、いや果歩の金を使っての スタートだったからマイナスからのスタートだな。 なのに最初少しばかり上手くいったからっていい気になって どんどん仕事に向き合わなくなり── 仲間との楽な時間に逃げ込んで、果歩にも現場を……おそらく見られて いたと思う。 俺はそんな風に浮気の現場を見られたり、最低でクズなことばかり してた。 出て行ったのはどうして今頃なんだ? ってそればっかり考え思いつめた けど、店を出店してからのことを冷静に振り返ってみたら、こんな状況果歩 でなくたって逃げ出すだろうよって思えるようになった。 皮肉だな、果歩。 お前が出て行く前に仲間とは別れてたっていうのに。 だからやっぱりどうして今なんだ、今出て行かなきゃならなかったんだって いう気持ちがいつまでもループして俺を悩ませてるんだぜ。 最初はもしかしたら事故かもとも考えたけど警察の方に何も情報が 入ってないとなると逃げられた可能性が高い。 情けなすぎる。 しかしそれにしても果歩の唯一のお宝の金は俺の店に 全部投入してたんだ。 金をほとんど持って出ていないのに、しかも碧まで連れて出ていけるのか? おかしいよな。 本当に果歩の意志で家を出て行ったのか、はたまた事故にでもあったのか……。 2人が家からいなくなった日から── ああでもない、こうでもない、一体どういうことなんだと同じことを毎日ぐるぐる 考える日々が続いている。 男子学生も3月の半ばで辞め──仲間はというと、彼女が突然結婚を仄めかしてきたことで俺は公私共にバッサリと 切った。 そしてそのあと、店は俺ひとりで切り盛りすることになった。 ほんとっ、笑うしかないなっ。 店でもひとり、家でもひとり……ボッチかよぉ~なさけねぇ~。 ほんとは違反だけど、仮眠とる間は、時々深夜過ぎに店を閉める時間が ある。 バレたら大問題だな、きっと。 しようがないだろ、寝なきゃ死んじまうって。 早く人手をどうにかしないとな。 それとも店が潰れるほうが早いかっ! 果歩が家から居なくなってひと月が経った頃…… そして何とか学生のバイトを入れることが出来た頃…… 仲間がひょっこり俺の前に
結局私は記憶喪失の身元不明の女っていう設定のお墨付きを、Getできた。 奇跡だと思う。 警察の人や医師、看護師さんたちから、粘り強く身元は捜すので気を落さないようにと励まされた。 申し訳ないけれど『ありがとうございまぁ~す。私は元気です、とても』っていう心境で、嬉しさを隠すのに大変だったかもかも。 とにかく私は逃げ切ったのだ。 そしてこれからのことをどうするかってなった時──溝口さんが、小さいお子さんもいることだし住まいが確保できるまで身元引受人になると申し出てくれた。そして、住まいまで提供してくれたのだ。 私さえよければって……。 渡りに船。 願ったり叶ったりだった。 溝口さんのお宅はマンションなんだけどメゾネットになっていて階別に2部屋ずつあってそのうちの1部屋を私たちに提供してくれることになった。 貸していただいた部屋は広めで隣のもう1部屋は浴室になっている。 2階にもトイレがあるので助かるぅ~。 さてっと、これからどうしようかな。 ◇ ◇ ◇ ◇ 俺の妻、果歩が消えた、消えてしまった。 しかもまだ小さな碧と共に。 まだ狐につままれたような気分だ。 どうして? 何故だ? という気持ちが拭えない。 海外単身赴任中の浮気の時も、その時の女を日本に呼び寄せて会ってるのを知った時も……そして仲間友紀との浮気を知った時も果歩は出て行きはしなかった。 それなのに何故今頃? 一縷の望みをかけて心配で義母に連絡をとった。 だが帰ってきた返事は、意に反するものだった。 来てない、居ないと言われたのだ。 俺は、予想外の返事に焦った。 「夫婦喧嘩でもしたの? 」 義母から聞かれた。 してなかったというのは嘘になるけど、どうなんだろうこの場合。 俺は返事に詰まった。 そのことで義母は肯定と受け取ったようだ。 参る。 「いえ、夫婦喧嘩は……」していませんと俺が言おうとしたが最後まで言わせてもらえず、義母は畳み掛けるように言ってきた。「だとしてもおかしいわね。 それならうちに来そうなものなのに。 小さな子を連れてるからうちじゃなく他所に泊まったっていうのは考えられないし。 どうしたのかしら」*「すみません、俺心当たりをもう少し探してみます」 そう言って何か言いか
いや駄目だわ、そんなの。 自分の気持ちがしんどいからって彼を共犯者にしようなんて、私ったら。 ここで最後の最後まで記憶を失くしたってことにすると決めたのなら、自分ひとりでこの問題を抱えていかなきゃ。 彼を罪人《つみびと》にはできない。 目の前に飛び出して散々驚かせて、警察にも取り調べられるような目に遭わせた上に、実は私が本当は記憶なんて失くしてないのに、自分の都合で記憶失くしたことにしてることを知らせて──その上周りには内緒にしておいて下さいなんて、医師や警察官へ嘘を付かせることになるようなこと──駄目駄目っ、果歩、駄目だよ。 よしっ、ばれたらしようがないじゃないの、一旦家に帰ればいい。 奇跡的にこのまま身元がばれなければ、娘とふたり生きていけるように対策をたてて、なんとか切り抜けよう。 私は気持ちを固めた。 気持ちが揺れている間、なんか……ずっといやぁ~な気持ちだった。 けれど迷いがふっきれたからか、今は気持ちが落ち着いてきたのが分かる。 ◇ ◇ ◇ ◇── 溝口さんの家に初めてお邪魔した日 ──「お邪魔します」「遠慮しないで! ささっ、碧ちゃんと果歩さん疲れたでしょ? こちらへどうぞ。 何か飲み物いれますね。 あっ、果歩さん碧ちゃんにはりんごジュースにしましょうか? 僕、結構ジュース系に拘りがあって果汁100%のものしか、買わないんですよ。小さい子にちょうどいいでしょ? 」「すみません、運転してたから私なんかよりずっと溝口さんのほうがお疲れでしょうに。ありがとうございます。それと碧にまで。 でもすごいですね。 果汁100%だなんて、子供を持つ母親から絶賛信頼度高くなりますよ? 健康に気をつけられてるんですね? 」「ええ、そりゃうもう……なんて言ったら少し引かれそうですけど、正直その通りなんです。すごく気をつけてます。 ここ数年のうちに学生時代の友人、会社の上司、同僚と驚くぐらい次から次へと難しい病気で亡くなってましてね。 自ずと自分の身体に気を遣うようになりました」 ◇ ◇ ◇ ◇ 溝口さんにコーヒーを淹れてもらってほっとさせてもらった。 碧は出してもらったりんごジュースで ごきげんだ。 溝口さんが『碧ちゃんの玩具になるものがないか
渡っていたのにいきなり踵を返した私が全面的に悪いはずだ。 彼は私がそのまま走り抜けるのを見ながら右折しようとしていた。 右折車のことなんて何も見ていなかった。 頭にあったのは置き去りにした娘のことだけだった。 翌日警察が取り調べに来た時、そのように本当のことを話した。 男性は無罪放免になり、ほっとしたようで私に礼を言ってきた。 私は、わたしのほうこそご迷惑をおかけしてすみませんでしたと謝った。 その彼の名は溝口啓太という。 記憶喪失ということで警察がいろいろと私の身元を調べたようだが分からなかったようだ。 私は自宅の最寄の病院からは搬入を許可されず3院たらいまわしにされ、自宅区内よりかなり離れた病院に収容されたのだった。 このことが幸いしたのかもしれない。 私の記憶喪失は疑われることなく周りに受け入れられた。 どうしても……どうにもならなくなったら記憶が戻ったことにして自宅に帰るつもりだ。 記憶のない私たち親子をどうするか病院と警察が話し合ってなんとかしようと頑張っていた。 えっ、嘘でしょ? 私の身元って私が記憶を失くしたら調べても分からないもんなの? こうなったらえーいっ、ままよっ。 いけるところまでいってみよう! 私はそう思った。 周りの人たちの心配をよそに、私は記憶が戻らないという風に装い続けた。 数日後、病院、役所や警察が連携して再度調べるということになったとその話を耳にした時、困ったことになったなぁ~と思った。 警察だって忙しいだろうに徹底的に私の身元を調べるの? いくらなんでも人手を増やして徹底的に捜査されるとまずい。 身元がバレるのも時間の問題だなぁと思い焦った 私は、その日も私たち親子を気にかけて病院に見舞ってくれていた溝口さんに本当の気持ちと自分の状況を話してしまおうかと思うほどで、とても切羽詰っていた。
38 ◇救急車のち病院 えっ、うそぉ~っ。 私ったら……。 娘の碧を連れてないことに気付いた。 連れてた娘を忘れて横断歩道を渡るなんて、自分が……自分の行動が信じられなかった。 私は歩を止めていきなり向きを変えて駆け出した。 向きを変えた時、ずっと遠くに知らない女性がバギーの中の娘を覗き込んでいるのが視界に入った。 ……と瞬間私の身体はポーンと高く宙に浮いていた。 私はもうすっかり暗くなった夜空を見ていた。 その時空を見ながら、あぁ私は地面にたたき付けられるんだなぁと思った。 娘を置き去りにしたまま、どうしよう。 娘は無事夫の手に渡されるだろうか? 誰か悪いヤツに連れて行かれはしまいか、それだけが気掛かりだった。 私はどうやらあまり大きく飛ばされなかったようで、コンビニの駐車場沿いに植えられているツツジの植木の上に落下したのだった。 次に気がついたのは病院の上だった。 視線の先に見知らぬ女性に抱かれている娘が目に入った。 あぁ、良かった……ほんとに。 自動車事故に遭って病院に運ばれた自分の側に娘がいて一緒にいられるなんて、なんて自分は運がいいのだろうと思った。 他のことでは散々なのにね。 目覚めたことに気付いた看護師が先生を呼んだ。 先生からの質問が始まった。 そして側にいた娘を抱いている女性とも話すことになった。 その女性は既婚者で3人の子の母親だということだった。 とても子供好きな人のようで私がコンビニで買い物をしている時から可愛い娘が気になって、ずっと私たちの様子を見てたらしい。 私の後から店を出たその女性は、バギーの中の娘を置いたまま私がいきなり小走りに走り出したので娘のことが気になって一緒にいてくれたのだとか。 そして私のあの事故。 救急車を呼んでくれたのも彼女だった。 名を浅田美世子さんと言う。 救急車に娘を連れて私と一緒に乗って病院まで付き添ってくれたのだとか。 その一連の話を聞いて涙が零れた。「本当になんて言ったらいいのか。 私たちのことを……娘のことをずっと見守ってくださってありがとうございました。 車に当たって宙に浮いた瞬間、実はあなたと娘が見えてました。 その時に娘を置いたまま死んでしまったら、もしくは私だけが病院に運ばれて娘がひとり
気がつくともう夕暮れ時になっていて、母のところでいい子にして私を待っている娘のことに思いを馳せた。 迎えに行かなくちゃ。 夜風に当たったら気持ちも少しは落ち着くかもしれない。 そんな私に娘のお迎えは、ちょうどいい気分転換になりそうだ。 迎えに行くと娘はうれしそうに私の側まで駆けて来た。「おかあしゃん、ばぁばンにコレ買ってもらった」 そう言って可愛いくまのプーさんを見せてきた。*「お母さん、ありがと」「こんなに喜んで貰えて私のほうがお礼言いたいくらいよっ」「ン、いつも碧のことありがと。じゃっ、また。帰るわ」 母の家を後にして、私は碧をバギーに乗せて帳の降りそうな空気の中を、歩いた。 風が冷たくて気持ち良かった。 遊び疲れたのか碧は寝てしまった。 気がつくと私はとぼとぼと歩を進め、近所の我が家の店とは違うコンビニに来ていた。 私はあれから一旦自宅に戻り、娘を迎えに家を出る際に、当座のお金や通帳など他にも家を出て行く場合に必要なものを鞄に入れていた。 夫が仲間と浮気していることを知った頃から、まさかに備えて家を出るとなった時には必要なものをいつでも持ち出せるよう、ひとつの袋にまとめていたのだ。 そんなだったから店に入ってからも、どうしようかどうしようかと、呪文のように心の中で知らず知らずのうちに呟いていた。 あまりに悲しくて理不尽なことをされる自分にも嫌気がさし、このまま家に帰らなくて済む方法はないだろうかなんて思い浮かべていた。 コンビニで娘にりんごジュースとプリンを、自分にも水分補給をとお茶を買ってレジに並んだ。 3番目だった。 私はぼーっと立ってたみたいで、どうぞ次の方という店員の声で我に返った。 娘はバギーの中で寝ていた。 レジを通って店の外に出た。 もうそこまで春が来そうな季節なのに夜風が冷たかった。 私は目の前の信号が青になったのを見ると何故か急いで渡らないとと思ってしまい、小走りにコンビニの敷地を走り横断歩道に出た。 歩き始めてすぐに何かが足りない、と思った。